車いす関連のニュースを見ました。
言い分は最もだけど、実際の日本社会において、働く人々の置かれた難しい背景を先読みしてあげた方が、悶々したり、イライラしたり、差別されたと感じて凹まなくで済みそうな気がするのです…。
けして、これが良いとは言わない。
日本に住み働く人々の気持ちは時に余裕のない荒んだ部分があるということです。
そのニュース内容です。
車いす対応バスなのに「次に乗ってくれ」 運転士「拒否」で40分待ち、「障害者は客として認識されていないのか」
「『待ってくれ、乗れない』は私たちにとって重い意味を持つ」乗車を拒否された車いすユーザーの酒井さんは、取材に対し「約50分待たされ、松波さまの授業にゲストスピーカーとして呼ばれているにもかかわらず遅刻しそうになり、駅には時間通り到着していたのに、という腹立たしさと申し訳なさ、運転士への失望感を覚えました」と複雑な胸中を明かす。その上で今回の乗車拒否を受けてこう話す。
「百歩譲ってスロープ設備がない車両なら『乗れない』のは分からないでもありませんが、スロープ設備があり、『物理的に乗れる』にもかかわらず、予め決められたノンステップ・ワンステップバス時刻表に縛られて『乗れない』としたのは運転士、バス会社、そして今の社会が無意識にもっている差別意識かなと考えます。職員研修や考え方の刷新を求めたいです。
駅員やバス会社は私たちに対して平気で『待ってくれ』と言います。でも同じように駅員等の支援が必要な外国人や高齢者のひとにそんな発言してるところは見たことないです。つまり、外国人や高齢者は客の対象として捉えているのに、極論で言えば障害者は客として認識されていないのか、と最近思っています。『待ってくれ、乗れない』などの発言は私たちにとって、発した人が思うより重い意味を持つのです」
酒井さんと松波さんは取材の後日、帝産湖南交通から説明と謝罪を受けたという。
車いすのバス利用。夫も一人で乗れました!って話だけど…。
結婚して10年。車いすの夫と初めは家からお互いの会社に車通勤。
幸い、お互いの職場が近かったので私の職場まで送ってもらいそして夫は自分の会社の駐車場に車を停めていました。
数年はそれで良かったのですが、腕の筋力が落ちてきたため、今度は私の会社の近くに駐車場を借りて、夫の会社に夫を送って私の会社に通勤にしました。
その後、今の家に引っ越してしばらくして夫は会社を退職しました。
辛抱強い夫ですが、やはり体力と精神力に限界が来たのだと思います。
あまり、障がい者に理解のない会社でしたから、そんな会社で15年も務めた夫は偉いと思っています。
だから、私たちが公共のバスや電車を利用するのは、旅行など出かけるときのみ。
前回の旅行で、初めて夫は自宅の最寄り駅からバスで空港まで一人で行くことになった。
丁度、夫のリハビリの日だったので、バス停までをリハビリ担当の優しいOさんが買って出てくれた♪
私は仕事からそのまま車で空港へ。
バスに一人で乗ってみた感想を聞いたところ、最寄りバス停から博多までは順調だったものの、博多から福岡空港までのバスは一本目には乗れず、二本目のバスで乗れたそう。
それも、中国人の団体さんに先を越されて乗れなったらしい。
この時、十分に時間があったので、無事着いてよかったね!って話で夫のバス一人旅は無事にできましたよ!って話なのですけど・・・。
空港まで夫がちゃんと到着したか不安で仕方なかった私です。
会社を長く休むのも気が引けて、出発当日は私は会社を休まず仕事からそのまま空港へ行くことに。
夫は自宅から空港まで一人でタクシーかバスか、バスと電車かで行くことになった。
まあ、選択肢は色々ある。介護タクシーを呼べばいいのだけど、自宅から空港までとなると結構な金額になる。簡単に行けるバスという手段があるのに、お高い介護タクシーを呼ぶのも、、、ちょっと癪に障る。。
で、、そんな話をリハビリ担当のOさんにしていたら、バス停まで自分が送りますよ!って言うのです。
で、出てきたバスで空港まで行くという選択肢。
私はね、、正直、凄く凄く心配だった。
バス会社に乗りたい時刻のバスがバリアフリーバスかどうかを問い合わせると、バリアフリーバスがどの時刻に配車されるかは当日の朝にしか分からないとのことで、当日の朝再度問い合わせてほしいという返答だった。
幸い、当日の朝確認すると、バリアフリーバスが配車され一安心。
博多駅までは一本で行ける。
でも、そこから一人で空港行きのバスターミナルまで行き、乗り換え。ここで夫は一人で乗車できるだろうか…と不安だった。
ちゃんとバスの運転手さんは気づいてくれるだろうか??
人並みに押されて、いつまでも乗れなかったらどうしようか?
誰か、手を差し伸べてくれる人がいるだろうか?
様々な光景が頭をよぎります。。
まあ、本人はなんてことなかった様なのですが、私が不安になる原因を考えると、やはり、人々の心の問題が透けて見えているからだと思うのです。
時に、人は自分の状況次第で、”普通はしないであろう態度を取ることがある”ということも事実だからです。
いつもは誰に対しても優しく対応できる人が、出来ないときがあるという”社会がある”ということを知っているからです。
ニュースに時折出てくる、障がい者問題の根源は…
今回の乗車拒否のニュースもそうです。
人々は時間に合わせて行動しています。日本人の「時間厳守」は世界的にも有名です。
これは、日本人の性格や良さでもある。。しかし、ここは別の裏側、一面があると感じるのです。
前にもブログで書いた記事の通りです。
続く、ニュースの内容には、バスの運転手の聞き取り内容も掲載されています。
「12時1分発のバスが乗り場に乗りつけた時点で、今回の車いすの方々は乗り場におりませんでした。普段、車いすのお客様がご利用になる時は、他のお客様には一旦待っていただいて、先に車いすの方に乗車してもらいます。ただ今回は、他のお客様が乗車してから車いすユーザーの方々が来ました。また、運転士は車いすユーザーの方が乗車できるスペースも空いていなかったと話しています。
そこで運転士は、ノンステップ・ワンステップバス時刻表を見せて、次のバスに乗るようにと説明しました。しかし、当該バスもワンステップバスだったのに、運転士が『このバスには乗れない』『スロープの出し入れの操作が分からない』と言ってしまったのは事実です。不適切な言い方だったと運転士本人も認めています。乗車済みのお客様を一旦降ろしてもう1回乗っていただくのは困難だという旨も含め、丁寧に伝えるべきでした。受け答えや説明が適切ではなかったと、お客様には謝罪させていただきました」
バス運転手の気持ちも察する部分があります。
一般の急いでいる乗客から「急げよ!」という視線を浴びたくないだろうし、運行を遅らせた理由を会社に説明するのも億劫でしょうし、それなら、ここで「車椅子の乗客」に乗らないでくれたらラクという思考になったのだろうと思います。
ここでのバス運転手は「一番楽な選択肢をただ選んだ」というだけのことなのです。
差別したわけでもなければ、拒否したつもりもきっとないのです。
この掲載された『Yahooニュース』の下の方には、たくさんの人々のコメントが掲載されます。
ここを読むと、人々の主観や考え方が見えてきます。
多くの人はやはり、少数の迷惑より多数の迷惑をこうむらせないことの方が重要と考えています。
だから、車いす乗車の一人が多数に迷惑をかけることは選ばないのが一般的な考えです。
正直、私たちも大勢の人々を待たせてバスに乗るのは気持ちのいいものではありません。
だから、バス利用は避けます。
それから、満員電車になる可能性がある時間帯に絶対電車に乗ろうなんて考えません。
新幹線は指定席で予約ができますし、前回は個室の席を取って移動したため、非常に快適でした。
飛行機もそもそも決められたサービスが世界標準的に整っているので支障を感じたことがありません。搭乗時は一番最初で、降りるときは他のお客様が下りて、最後。
アイルチェアーが通路を通れる状態になってから。
だから、一番安心して乗れる公共の乗り物は新幹線や飛行機など。
それでも、問題は起きていますが、起きないように前もって手続きします。
当日窓口でチケットを取って、サッと乗ろうとか一切考えていません。やはり、障がい者への注意事項が定めれられているからです。こうした公共乗り物のルールは世界中ありますから、それを出来るだけ把握しておくことです。
JRおでかけネットー「新幹線・特急列車などの車いす対応座席について」
https://www.jr-odekake.net/railroad/service/barrierfree/wheelchair/#wheelchair-seating
ANAサイトー「歩行の不自由なお客様」
https://www.ana.co.jp/ja/jp/serviceinfo/share/assist/support/walking.html
人々の思考の仕方を変化させるのは難しい。
なぜ、こういう思考になるのか・・・ということですが、、その原因はやはり「日本人の時間厳守」という気質が影響していますよね。
子供のころから、この部分、しつこく教育されています。
時間厳守は大事なことです。
でも、時間厳守を妨げる要因になるから、時間が掛かるものは「排除」することが優先されることが、ほんとに人の考えなのでしょうか?
私は知っています。優しく手助けしようとしてくれるたくさんの人がいること。
車いすの移乗に失敗したとき、声を掛けた人で助けてくれなかった人は一人もいません。
手伝いましょうか?と手を差し伸べてくれる人がたくさんいます。
もしも、子供のころから、障がいのある人が必要としていることを”知る”機会があれば、あるいは一定の配慮をするのが人としてのマナーと教育されていたら、また、厳格に法律化されていたら、またこれは変化するのではないかと思うのです。
アメリカのすべてが良いとは思いませんが、アメリカには『ADA法』というものがあります。
”障害を持つアメリカ人法”というもの。内閣府にも全文が日本語訳されて掲載されています。
人を変えることは難しい。
だから、自分が変わる方が簡単だと夫はいつも言います。
夫のような車いすユーザーに対して、たまたま親切な対応が出来なかった人へ、『気分を害したところで、それは不毛な時間』でしかないので、日本という社会の気質に合わせて行動することで、問題にさせない方がずっと楽だと考えています。
いつか、こうした”日本人気質”をもう少し柔軟にできる社会の懐の広さや心の余裕ができるなら…もっといい社会になるのではないかと思うのです。
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