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お盆。亡くなった家族に会えるなら。

私のこと
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私の家は仏教ではなかった。キリスト教。
そういう私は、無宗教を選んだ。

だから、お盆の概念はないのだけれども、この時期になると8月6日の広島、8月9日の長崎、そして8月15日の終戦と重なり、お盆の時期はやはり、戦争で亡くなった多くの人々に思いを馳せる時期となる。

前に父のことを書いた。

6月20日。福岡大空襲の追悼式のニュース。
『福岡大空襲』の追悼式のニュースをテレビで見た。コチラは西日本新聞の記事。74年前の6月19日から20日に博多と天神は火の海に包まれたということ。ここで暮らす人々の上に容赦なく焼夷弾が落とされたということ。

父に思いを馳せることが多い。多分、また会いたいから。
父の顔を見たいから。寡黙だった父とつまらない会話をしたいから。父にニッコリと笑顔で見つめてほしいから。そして、父とまた手をつなぎたい。

それがもうできないということが”死”ってことが本当に良くわかった。

実家に帰って、父の若いころの写真を眺めようと思った。でも、出来ないでいる。
それを見ると、父が多くを語らなかった時代のことを目にするから。
十代だった父はその時に何を感じたのだろうか?
何を考えて思春期を過ごしたのだろうか?

でも、もし父にまた会えたとしたら、きっと私は父に色々聞かないのだろうと思う。
聞けないと言った方がいいかもしれない。
ただ、飼ってた犬の話や、好きな食べ物の話、意味のない映画の話、そんなことしか話さないのかもしれない。

でも、でも、、父の年齢の人々がまだ生きているうちに。。。本当はたくさんのことを聞いておくべきだ。
人々が二度とあの白黒の写真の時代のようにならないために。

コメント

  1. より:

    本当に亡くなった人に又会えたら、どんなに嬉しいことでしょう。
    人は歳を重ねるほど、会えない人が増え、そうした人に会えない悲しさと思いが深くなる。
    しかし、人は、帰らぬ人を思っても無駄と考えるか、その事を前向きにとらえて、過去の事から学ぶ人かで、大きな成長の開きが出ると思うのだが、時間は戻らないが、大いに人は過ぎ去った人の事や時代に関心を持って語り、学ぶ必要は有るでしょう。

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