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鉄道会社のバリアフリーの取り組みに感じたこと。

バリアフリーとは
https://withnews.jp/article/f0190408005qq000000000000000W08u10101qq000018974A
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車いすユーザーとバスや電車に乗ったことがありますか?
バスや電車で車いすで乗り降りする人を見かけることがありますか?
Yahooニュースのヘッドラインにこんなニュースが。。

【誰だってマイノリティー】「早くして」車いすユーザーの言葉に葛藤 どこまでサポート?鉄道会社のリアル

最近、駅の「バリアフリー化」という言葉を、よく聞くようになりました。鉄道会社は、大切なことであると理解しつつ、混雑緩和や費用などの問題について、試行錯誤しているのが現実です。駅員の一人は、車いすの乗客への対応を巡り、「社員間で怒鳴り合いになったこともある」と明かします。安全確保を求める企業側と、素早い対応を望む利用者の間で、板挟みになる現場。ハード面の整備にも限界がある中、必要なものとは? 鉄道関係者の言葉から考えます。(withnews編集部・神戸郁人)

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日本の鉄道はバリアフリーもサービスも優れている。

『鉄道会社』の社員の皆さまが、「車いすユーザー」のために色んな努力をしていることが垣間見えます。

夫は車いすユーザーですが、正直、日本の鉄道会社のバリアフリーは私たち夫婦で利用するときに限っては、十分だと感じています。

夫の体の状況から、あまり一人では公共の乗り物に乗ることはありませんし、通勤に公共の乗り物を利用することもありませんから、必要なのは旅行に出かける時だけだからです。

日本の鉄道のプラットホームと車両との段差は殆どありませんし、隙間も無いように緻密に設計されています。
正直、エレベーターがありホームに行くことさえできれば、駅員職員にわざわざスロープを持ってきてもらわなくても乗れます。
でも、JRの職員さんは親切にスロープを抱えて私たちに付いて、設置をして下さいます。
”サービス過剰”かな??なんて思いますが、安全規定を守りたい駅員さんの姿勢に感謝してその”サービス”を受けます。

ですから、私たちには十分なサービスを提供してもらえているという印象しかありません。

それでも、不十分な理由。

しかし、こうした環境において、不十分だと感じるのは、アグレッシブに動ける「車いすユーザー」。上肢に問題がなく、腕力や筋力で車いすをうまく操れる人や、地面からポンと車いすに移れる人なんかもいますよね。
サッと乗ってサッと移動可能な「車いすユーザー」にとっては、職員のサービスを受けるために待つよりも、歩ける人同様にパッと車両に乗り込みたいだろうな…と思います。

それから、通勤や通学をしたい「車いすユーザー」。
時間に間に合うように職場や学校に向かいたいわけです。

どちらにしても問題は「時間」の考え方次第です。

『解決策』のみちすじ。

じゃ、こうした事への『解決策』。

私が思うに、『解決策』というのは、エレベーターやスロープを造ることでも、駅員職員がサービスを徹底することでも、ムリだと感じています。
インフラとかサービスというのは外部的要素でしかありません。

人の内部的要素が変わらないとムリと思います。

イタリアで鉄道に乗りました。
イタリアの鉄道にも”SALA Blu”という車いすユーザーへのサービスがあります。

写真でお分かりのように、イタリアの鉄道は日本のようにホームと列車の高さが同じでフラットではありません。そして、列車内の座席のレベルまで階段が三段ほどあるのが普通です。

ですから、このように列車に乗るためのリフトを用意してもらわなければ乗れません。また、事前予約が必要なことに加え、この”SALA Blu”のサービスは全ての駅にはなく主要な駅のみ。それでも、このサービスがあるからこそ私たちは旅行が出来ます。
ええ、これらのサービスを受けるために、一般の乗客よりもより多くの時間を要します。
しかし、ここのスタッフたち、焦りもせず、坦々としています。
そして、彼らなりに私たちを気遣います。
人によっては長い待ち時間に話しかけてくれたり、コーヒーやおやつを持ってきてくれたり、人それぞれの面白い対応をするのが、、「イタリア」のイメージです。

イタリアの鉄道は日本とは大違いです。
日本において、鉄道は乗ろうと思えばサービス無しで乗れちゃいます。
でも、イタリアだと絶対に乗れませんし、車いすを抱えて乗せることは鉄道職員は出来ません。規定違反となるからです。

日本より、全然、バリアフリーは整っていません。
比較すれば、どこもかしこもです。

ええ、何も知らずに初めて列車に乗ったときには。。。
もちろん、周りの人に抱えてもらいましたよ。

イタリアでの車いすユーザーの不十分すぎるバリアフリーは、、多分、、、ですけど、周囲の人々によってどうにか「解決」されているのだと感じるのです。
究極は周りの人々の『優しい手助け』以外、無いという事。

急ぎたい気持ちより、”感謝”を忘れてはいけないと思います。

このニュースの最後はこのように締めくくられています。

「バリアフリー設備を充実させるのは、もちろん重要です。ただ、それを活用する側に、当事者と向き合う姿勢がなければ、『仏作って魂入れず』になりかねません。やはり根っこには、人間的な助け合いがあるべきだと思います」

「例えば車いす利用者を採用し、運行計画の整備などに関わってもらう。そうした目線が経営に加わると、立場を問わず使える交通機関になります」

「利用者に我慢を強いないため、何が出来るか。それを考え抜けた鉄道会社は、今後も人々に選ばれるのではないでしょうか」

日本においての「鉄道会社」の努力はは素晴らしいと感じます。
しかし、その努力はサービスを受ける「車いすユーザー」側にも必要ではないかと感じます。
もちろん、障がい者も健常者と同じように自由に活動したい気持ちを抑える必要はありませんし、私も夫と旅行や外出を楽しみたいです。
でも、どうしても必要とする『人の手』への感謝を忘れるべきではないといつも考えています。
様々な対応に不満を述べることは簡単ですが、人よりも特別な状況にあることは事実なのです。そして、そのことで「人より時間を要する」ということも事実です。

もっと柔軟に対応できる「心」がいるって事では?

この、ニュースが伝える問題として、障がい者からの「早い対応を望む」声に答えたいという鉄道会社の思いがあります。
そうした対応への取り組みが、鉄道を利用するすべての人々への理解となって広がることが進めばいいと思います。

例えばなんですが、健常者の遅刻と障がい者の遅刻。どっちが許されないか??考えてみてみると良いかなと思います。

ええ、答えは基本、どちらも理由次第でしょ。

しかし、車いすユーザーや障がい者の遅刻理由はちょっとしたことでどんどん増える。
電車がいっぱいで乗れないとか、エレベーターの待ち時間が長かったとか、いつも通れる道に工事で段差があって通れなかったとか、そもそも、起きるかもしれない不自由のための時間を多めにとることは日常です。

でも、”遅れたくないから急ぎたい”は、健常者だろうが、障がい者だろうが同じレベルで発動します。
その状況下で個々が何を考えて実際行動するか。。
規則やルールに従わないといけないからでしょうか?
不可抗力な状況が生じたなら、規則やルールを守ることはできません。
本当はそれだけでは無いですよね。
それは、社会の考え方や人々の意識と関連していると思います。

状況を考慮できない、思考不全な教師や上司がいたら、急ぎ方は変化するでしょ。
そんな、”柔軟な物事への見方が出来ない人々に翻弄されている人”がいるとしたら、そこが解決されない限り、状況が好転することはありませんよね。

折角の企業努力むなしく批判されるなら、鉄道会社の努力は貧乏くじを引いてるだけになります。

つまりは、「柔軟な物事の考え方」が出来ない人々が溢れると、問題は深刻にならざるを得ないという事です。

もし、バスや電車で車いすユーザーの乗り降りを待つことがあったら、そこで、あなたは何を感じるでしょうか。

自分の「時間」の方が気になりますか?

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