重度障がい者の国会議員が誕生した。
これは、本当にスゴイ事だと思っている。
嬉しい反面、この状況に対しての社会の反応を知りたくない。
当然、好意的な人々だけではないという事を知っているから。
だから、ニュースが気になるけれども見たく無い。
見たく無いけど、社会の変化に期待したいから見たい。。。
心の中が変な感じになる。
障がい者の夫を持つ妻として、思う事がたくさんある。
このブログは、夫と建てた「バリアフリーの平屋」と「旅行」と「普段に思った事」の記録として書いている。
社会には、『普通』と切り離された生活をしている人たちがたくさんいる。
夫もその一人だと思う。普通に…出来ないことがたくさんあるから。
夫は多分、高校生くらいまでは『普通』を謳歌していたと思う。
でも、だんだんと『普通』ではなくなった。
次に『普通』でなくなるのは、もしかすると“あなた”かもしれない。
出会ったとき、すでに夫は車いすだったが、私たちは結婚当初は普通に共働きだった。
夫の運転する車で、それぞれの職場が近かったので二人で通勤してた。
しばらくして、夫の運転が段々辛くなった。だから、私が運転して通勤するようになった。
そして、私は今、一人で通勤している。
夫は最初に勤めた会社のバリアフリー化がされずに辞めた。
次の会社はバリアフリーだったが、夫にとってはバリアフリーとは言い難い建物だった。
しかもその会社で、夫の給与は年々と目減りした。
夫は『普通』に仕事をすることが出来なくなって、会社を辞めた。
それでも、『普通』に暮らすことを楽しんでいる。それをブログで伝えたかった。
家も建てられる。旅行も行ける。何でもできる。
バリアフリー平屋にすれば、車いすでも楽しく暮らせるよ。
夫婦二人で協力すれば、車いす旅行も楽しく行けるよ。
色々なことは誰かの”手助け”できっと出来るよ。
しかし、それは本当ではない。本当ではあるけど、『普通』ならいらない努力をして得ている。
夫婦になって、もうすぐ11年になる。
夫と私は凄く会話する夫婦だと思う。
喧嘩はもう数年していない。一緒に居ればいるほど、喧嘩の材料がなくなった。
だから、二人で過ごす、”この家”が世界中で一番の私の安全地帯。
ここは、何もかも安心していられる幸せな私の居場所。
幸せか?と聞かれたら間違いなく夫と結婚して「幸せ」と答えられる。
でも、一歩外の世界に出ると、私は常に「幸せ」とは言えない。
人の暖かさを本当に感じる経験も沢山した。
半面、泣きたくなるような悲しい気持ちにさせられたこともある。だから、出来るだけ”泣きたくなる”ような状況に身を置かないことで、これを避けていると思う。
社会には幸せとは言わせてくれない現実がたくさんある。
障がい者の国会議員が誕生したことに、一筋の光のようなものを感じた。
それは、同性結婚の制度が始まった人々と同じ感覚かも知れない。
彼らも人として『普通』に結婚できること、家族となれること、子供が持てることを望んでいるだけだ。
『普通』を失った人々がすこしでも『普通』になれることを望むのがそんなにいけないのだろうか。
介護にお金がかかるから?社会で生産していないから?税金を払っていないから?
彼らは社会のお荷物なのですか?
国会議員になっても、一人じゃ”できない”から責任を全うできないと言われるのなら、都合が悪くなったら仮病を使って病院に逃げ込むような国会議員は何なのだろう。
少なくとも、彼らはこういう事はしないし、出来ないと思う。
“できていない”のは断然後者だ。
人々は政治に対しての真摯で真剣な姿勢を見ているのではないのか?
少なくとも私はそうだ。
出来るとか出来ないとかじゃない。だって、彼らは『普通』が出来ないから障がい者。
彼らが出てこなければ何も変えられないから、身体的には”できない”けど、必死で出てきているのでしょ。
今の政治家には何年たっても出来ないから、彼らがやるしかないから出てきたのでしょ?
切っ掛けを作った「山本太郎氏」には感謝だ!
これは単なる『始まりで終わり』かもしれない。
でも、これが本当の『始まりの始まり』になってくれたらいいと思う。
コメント