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ニュージーランド人が選んだ首相のこと。

日々のこと
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ニュージーランドは私の人生を変えてくれた場所なので大好きな国の一つです。
で、今のニュージーランド首相のニュースがいつも面白い。
”アーダーン首相”です。

ヒューマニズムを感じる首相の発言が、心温まるし、人間ってこうでしょ?って思えるし、その”人間”を感じさせてくれる人物が一国の首相であるということに、安心感が持てるからです。

出産を間近に控えたニュージーランド女性首相が、いま思うこと 「私だってスーパーヒューマンじゃない」
「すべての女性がスーパーヒューマンであるべきだ、という間違った印象は与えたくない」

”人間”だから、妊娠して出産って、人生の中で起こり得る”あたりまえ”のことです。それが一国の首相であったとしても。…と、気付かされます。

責任の度合いが大きく違うとはいえ、家族を持つ皆同じ”人間”なのです。
出産しようが、首相を辞めることなく育休取ったらさっさと復帰し公務を果たし、コロナ対策では世界から高評価を得る対策として称賛された。

そんな、一国の首相が育児休暇を取ったところで”なんちゃない”ニュージーランド。
そんなニュージーランド議会が垣間見れる、前に書いたこちらの記事もどうぞ。

本当のバリアフリーって何だろうか?赤ちゃんとニュージーランド議会
ニュージーランド議会は日本よりずっとずっと寛容だし、どんな人々の生活にも、結婚、出産、介護、死、といった過程があり、それを迎える家庭が社会生活に自然に受け入れられているような気がしました。

当たり前は当たり前なんです。
父親であり、母親であり、夫であり、妻であり、子であり、孫である。
家族の世話もすれば介護もする。その、家族のためにせっせと働く。
女性が子を産む以上、産む期間は仕事は出来ない。代わりに夫やその家族が家事をし支え、働く。

子育てしながら働く”母”は…誰かの協力があればそれが出来る。
障がいを持つ誰かは誰かの協力で社会に貢献も出来れば仕事もこなせる。

その、当たり前を社会が受け入れることがなぜそんなに難しいの?

ええ、はっきり言えば日本では”難しい”です。

生身で生きている”人間”が”社会”から無視されているように感じます。

また、しがらみや先入観、疑心暗鬼、顔色を窺わないと決定できない不安定さ、”空気を読む”べきという間違った正義感。色々見えます。
要するに、”判断”を常に他者に求めて生きている人が多いと感じます。
それは、”大人”ではない。

また、これがあたかも”大人”な対応であるかのような錯覚を起こしているようにも思えます。
しかしながら、私の解釈ではむしろ日本人が”人間”として成熟していないことの証明のように見えます。

別の観点からみれば、昔の方が人間味のある人々が多かった気もするので、人々が荒んだのかもしれません。

民主主義という概念においても同じで、人々が成熟、円熟した”人間たち”であるかどうかで変わっていくものだと感じます。
人間的に未熟な人々の造る民主主義国であればあるほど、教育においても、経済においてもどんどん格差が生じていくと私は思います。そして、その格差は貧困と治安の崩壊を産みます。すると、幸福や平和からどんどん離れ、もはや民主主義国家は誤った政治へと変貌していくのではないかと。。
かつてのどこかの国のように。

先日のアーダーン首相のニュースも良かった。

NZのアーダーン首相、FBライブで「週4日勤務」を提案。観光産業をサポートするため
海外は行けないけれど、「自分の裏庭を探検してみませんか?」と、呼びかけています

アーダーン首相は、「海外は行けないけれど、”自分の裏庭を探検してみませんか?”」と、呼びかけています。

国内での経済需要を出来るだけ増やすための努力を国民に押しつけがましく言わないところが素敵ですよね。
また、コロナによって社会に問われたこれまでの働き方を経営者側から変化させることが出来ないかを嫌味なく伝えています。
うまい表現だと思います。

そう。この首相を選んだのは『ニュージーランド国民』。

今の日本国民に37歳の女性を”政策”で選ぶことが出来るでしょうか?
正直、そこまで日本国民は”成熟”していないだろうと思います。
ある人は隣国に脅威がないからと出産する首相でも問題ないからだと言うかもしれません。もちろん、それもあるでしょう。
しかしながら、それは言い訳の一つにしか過ぎないと思うのです。

何が言いたいか、、、選ぶ人次第で国は変わるということです。
他国との付き合い方も変えられる可能性もあると思うのです。
摩擦が起きる問題の本質をいかに捉え、問題を深くしないための努力をするのかしないのか。また、どのようにするのか。。。
アーダーン首相のリーダーシップを世界が評価したとき、ニュージーランド人は何を思ったのでしょうか?
人選が正しかったと思ったのではないかな。

“They are us”ーーテロ後のアーダーン首相の行動は、愛と思いやりに溢れている。
分断が深刻化する社会で、私たちが彼女から学ぶべきものは何だろうか。

民主国家において、選ぶ権利がある自分が”誰を”選ぶかは大事なことだって。
選んだ結果が、今、また将来へと繋がるのです。
今見ている結果は選んだ結果だからです。

「他に居ないから…どうせ誰がやっても同じだから」と支持率の多いであろう候補者を安全パイと思考なく選ぶのではなく、誰がどんな政策を達成しようとしているのか自分で調べて”選ぶ”べきなのだと思います。

コメント

  1. snoopy より:

    こんにちは  

    梅雨入り前に太陽が恋しいなんて不安定な5月ですね。

    手作り花壇のご様子にコメントしたいなぁ~と思っていましたら
    正しく本題・・とも言える課題(?)に心が動きました。

    先週からの政府の動きや強行採決までいくのか・・と思いきやの急転直下の出来事に本当に怒りと絶望感しかありません。

    そしてこの絶望感さえ自分自身の結果のように感じ、
    誰を選ぶか・・の重みを身に染みて感じています。

    今あるこの現実はこの7年間の答えのように重いですね。

    自国の総理大臣と日本語で意思の疎通が出来ていない国会答弁を見るたびに
    はらわたが煮えくり返る思いです。

    それでも諦めないで将来を見据えたいです。

    絶望だけのバトンリレーは絶対に嫌ですもの。

    ベタですが・・
    最近KANさんの「愛は勝つ」を鼻歌で歌っている私がいるんですよ。(笑)

    お元気でいらしてください。

  2. tulip tulip より:

    こんにちは。
    こちらは今日はちょっと動くともう汗がでるくらい暑くなりました。
    季節は巡るものですね。
    ツバメが我が家に4年ぶり?巣を掛けました。
    さて、雛がちゃんと育つのかどうか。
    一つ楽しみが出来ました。

    国会での不毛な会話…。
    もう、半ば笑って夫と見てました。
    しかし、多くの人が「気づいて」きた気がしています。
    さらに変化があるかどうかは日本国民次第なので何とも言えませんけど。

    正直、政党だのなんだの、誰が首相をしようが、大臣をしようが私にはどうでもいいんです。
    人の命を軽んじる人間が権力を持つのは真っ平ごめんだというだけなんです。
    確信犯的人物は多々政界に居ると思いますが、さらに重症なのは彼らの言うなりになることで、結果「人の命を軽んじている」ことになっていることにさえ気づいていない低レベルな人間が重要な決定をしているということが垣間見えるところです。

    また考えるとため息が出るので、好きな鼻歌でも歌いつつ家事をします!

    いつも、ありがとうございます♪