わが夫はいわゆる、『重度障がい者』に当たると思います。
夫といる事が私の日常なので、『重度障がい者』と過ごしているという自覚はあまりありません。
ただ、社会で起きる様々な憂慮すべき事象があると、この『重度障がい者』である夫の事が非常に心配になりますし、高齢者、障がい者など、”社会的弱者”がこの日本社会でどう扱われていくのかを憂慮しています。
私の憂慮している問題は、今のコロナ禍において特に表面化してきたと感じています。
先進国であったはずの国々で医療崩壊が起きました。
イタリアやスペイン、ニューヨークなどのニュースは連日報道されていました。
その時に行われたことは何だったか。。
『命の選別』です。
私がもし80歳とか90歳の高齢者でコロナウイルスに感染し、重症化したとしたら。
その時、一つしかない人工呼吸器をきっと重症化した若者へ譲るでしょう。
だって、私はもう人生の多くを歩んで来たわけですし、これから未来のある若者に生きていてほしいと願うからです。
これって普通の考えに聞こえます。みんなそう思うかもしれない。
でも、もし、一つしかない人工呼吸器を障がい者の夫より、『健康を回復する可能性の高い若者に使います』と医者に言われたとしたら…。
私はどうしたらいいのでしょう。
こうした出来事は起きる可能性があるのかもしれない。時にふとそんな心配を私はしてしまいます。
だって、『命の選別』はこの春、私たちの知る身近な先進国において現実に起こっていたから。
しかも、日本は先に医療崩壊をしてしまった国々から学習できることは多々あるにも関わらず、学習しようともしていないように見えるからです。
今、日本のコロナ患者が少ないのは抑制出来ているというより、恐らく何かしらの”ラッキー”があるだけだと思っています。
その、ラッキーは儚くも権力者によって壊されようとしているようにさえ見えます。
『命の選別』が現実にならないことを本当に願っています。
「若者に譲る」が日本で起きてほしくはありません。
重度障がい者で国会議員になった、れいわ新選組の舩後靖彦氏の声明を読みました。
現実問題の当事者として国会に発言できる舩後氏という国会議員の存在は大きいと感じました。
政府は早々に準備頂き、『命の選別』が現実とならずに済むようにしてもらいたいものです。
上記の声明の最後に舩後氏はこのように書いています。
国民の皆様一人一人におかれましては、弱い立場におかれる人が「生きたい」と言える 社会に、命の価値を選別しない、つまり命の価値に順列を付けない社会への理解を深めて下さいますよう、心よりお願い申し上げます。「命の価値は横一列」と、私は考えています。どなたでも、その価値は同一です。
こちらの声明も。
舩後氏はれいわ新選組の党員が発言した『命の選別』を容認する意見に対し、明確に言葉で反論してくれたと感じました。このことはこれまで私には言葉でうまく表現できませんでしたが、この発言を通して代弁して頂いたように感じました。
大西氏の言葉が”正論”のように聞こえた人がどれだけいたのでしょうか?
一瞬、真っ当に聞こえた半面、その背後にはやはり気付かないで『優生思想』というものが根付いているように感じます。
また、コロナ感染者が増加しています。
今直ぐにでも手を打って良いと思います。
というか、、遅すぎるというか、、まだしないというか。。
手厚く準備し、補償を十分出していいじゃないですか?
失われずに済む命を守るってそんなに出来ない事ですか?
思ったほど蔓延せずに終息できたならそれこそ一番良いことではないですか。。
国としてコロナ補償に多額の借金をしたとしても「命」という財産は計り知れないですよ。
ま、、日本が国債を借金と呼ぶ必要も、財政破綻もしないという事を私は知っているのでこう言えるのですが。。
それはまた別の話で・・・
あ~。。。また、、溜息。ここらへんで終わります。
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