私が1年間過ごしたニュージーランドから、こんな微笑ましいニュースが届きました。
ニュージーランド議会で21日、与党議員が赤ちゃん誕生後に赤ちゃんを連れて初めて登院したところ、審議中に議長が議長席で代わりに赤ちゃんを抱き、哺乳瓶でミルクを与えながら議事を進める一幕があった。
さて、、日本でこれが可能だろうか?
ウン。不可能でした。
ニュージーランド議会がどんな場所か詳しく解りませんが、日本の国会のような場所ではなさそうです。
だって、日本の国会、、汚い野次や罵声が飛び交いとても大人が集っているとは思えません。はっきり言って、、あれを子供が見たとしたら、何を思うのでしょうか?18歳から選挙権がありますが、18歳を迎えて、あの野次や罵声を浴びせるような議員に投票したいなんて思うでしょうか。。非常に恥ずかしいです。
話を戻しますが、お国柄や規則はあるのですけど。。。
ニュージーランド議会は日本よりずっとずっと寛容だし、どんな人々の生活にも、結婚、出産、介護、死、といった過程があり、それを迎える家庭が社会生活に自然に受け入れられているような気がしました。
そうした状況に接した人に対して、”寛容さ”で対応しているという事です。
それは、他者が難しい状況に接した時にどんな対応をするか?心の広さの表れだと思うのです。
その昔、こんな時代劇ありましたよね。
『子連れ狼』・・・。妻を亡くしたお侍のお話でした。
江戸時代に刀を身に着けた”侍”が、乳母車に子供を乗せて…ええ、彼はすごいです。
平成、、令和でもあんまり見かけないのに。。まあ、所詮物語なのですけど。
でも、妻がいたら、、妻任せ。日本は未だに男性社会。
子供は女性が育てるものっていう暗黙の了解がある。
そして、悲しいかな日本と不穏な状況になっている韓国社会も似たような感じなのでしょうか?
前のブログ記事で、日本のママチャリと書籍、『キム・ジヨン』のことについて書きました。
もちろん、産むのは女性ですが、男性も”親”であることに変わりはありません。母乳を出せと言っているのではありません。でも、ミルクあげたり、おむつ換えたり、洗濯したり、なんで女性がメインでいつもしなくちゃならないのですか?
正直、ここにも大きな『バリア』を感じます。
いつも私がこういうニュースがあると夫にブツブツ言う事は。。。
「男が産めるんなら、イロイロ文句言えばいい!。産めないくせにつべこべ言うな!女性が必死で産む作業をしたのだから、今度は男が世話して然るべき。」です。
ええ、そんな私に子供いません。世間のお母さま方の本当の大変さは分かっていないと思います。
でも、乏しい想像力ですが、この日本社会で働きつつ子育てをする”母親”の状況を考えると本当に大変だろうと思っているのです。
だって、日ごろベビーカーを父親だけで押している『子連れ狼』ほぼ見かけませんもの。
日本社会は親になることのハードルが色々高いと感じます。
私は思うのです。。この少子化にあって、世間全体が「赤ちゃん」を大切に迎え入れる気持ちが無いのかなと。
ニュージーランドの議会のオジサマを見る限り、生れ出てきた「赤ちゃん」を暖かく迎え入れ、慈しむ気持ちがあるだけなのだと。
だから、普通にこうした接し方が出来るのだと思うんです。
しかし、、、日本の男性(社会)が考えることは何が優先なのでしょう??
日本の幸福度が低いのもここにあるのではありませんか?
『不都合』を抱えた人々への思いやりや優しさ、慈しむ気持ちが足りない気がしています。
反面、”自己責任”や”個人の問題”で片付けられる風潮が社会に滲み出ています。
だから、心のバリアフリーとそんな狭い思考の彼らが言っても、、本当は『口だけ』なのではありませんか?
我が家は夫が車いす生活です。
いろんなバリアがあります。ですが、人々の「心のバリアフリー」でバリアを乗り越えられることも知っています。
障がい者云々のバリアという問題もさながら、女性と男性のバリアが無いですかね。。。
人々に”寛容さ”と言う「心のバリアフリー」があったら、ニュージーランドのようなほほえましいニュースを日本からも発信できる気がします。
あ、でも一つはいいニュースを世界に発信したと思っています。
こちら!
世界的に見ても、こうした重度障がい者が国会議員として政治にかかわることが出来るということは素晴らしいことだと思います。
だから、いろんな境遇の人々や女性の議員がもっと増えて、本当のバリアフリーな社会になってくれることを切に望みます。
そしたら、、、ここ数年、キナ臭くなってきた世界は、もう少し平和に近づかないでしょうか?
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